管理者について

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スクールスタディアム(以下S.S)の管理者の馬締学(まじめ まなぶ)です。私のこととS.Sに対する思いを書いておきたいと思います。

経歴

大阪で生まれ、大阪で育ちました。小中は公立学校、高校は私立、大学・大学院は国公立大学で学びました。その後、大阪で就職をしましたので、生粋の大阪人です。私は元々勉強するタイプではありませんでした。しかし、大学院まで行くくらい勉強するようになりました。過去を遡ってお話します。少々長いです。

 

きっかけ ~小さな塾の先生~

私の学力は、中学3年の始めに受けた五ツ木模試で、大阪府内ワースト3という順位を叩きだしてしまうくらいでした。底辺校ですら合格の確率が低かったです。

 

友達が塾を変わるのに、説明会に行くというので、それに付いていき、入塾を決めました。地元のマンションの一室でやっている個人塾でした。そこでの学びがその後の私を大きく変えました。

 

私は中学3年生で初めて「英語が外国語である」ということを知りました。小学校5年生の時、パソコンに興味を持ったので、キーボードを覚えてしまいました。その時にアルファベットを覚えていたのです。私の中では、「ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット」は全て「日本語」だと思っていました。中学校で英語を習ったとき、アルファベットだったので、日本語の一種だと思ったのです。

 

そんな私の状況を塾の先生は見抜いてくれました。「英語が外国語って知ってる?日本語って思ってない?」この一言が印象的です。私の根幹を揺るがす事態となりました。「この人に付いていこう」と思うようになったのです。

 

そこから、猛勉強を始めました。それまでの遅れを取り戻すために、やり方を意識しながら、「質×時間」を考えて取り組んでいきました。最終的に偏差値65くらいになりました。合格が難しいと思われた私立の進学校に受かりました。金銭的な問題で公立高校に行こうと思っていましたが、中学校から私立合格がもったいないということで、説得されて、進学することにしました。

 

教える仕事に就きたいと思った高校生活

 

高校受験の結果は「7点無かったら落ちていた」というギリギリ合格でした。当時の私は「これ以上勉強しなかったら、進級できない、卒業できない」と思って、毎日勉強するようになりました。そうするうちに、普通のコースから特進コースに上がることができ、そのままコースを維持して卒業しました。

 

高校の授業を受ける中で、「教えること」に興味を持ちました。特に印象的だったのは、古典の授業でした。高校1年生の時、古典の授業で起きていたのは私を含めて3名だけでした。これだけみんな眠るのはどうしてだろうと思いました。

古典の先生は文法のテキストの一文を見ただけで、その話全体を思い出せるほど知識が豊富な人でした。私はその話を聞くのが好きだったのですが、ある意味脱線です。本来学ぶべき文法の部分は少しだけでした。文法をわかりやすく伝え、その上で知的な話に持って行くことができないかと思うようになりました。そこから、教え方に興味を持って、先生の授業を受けるようになっていきました。

 

浪人時代に作戦を立てる練習をする

 

大学受験は、その高校からはなかなか合格者が出ない大学を志望しました。国公立一本で挑んだ現役では合格できませんでした。お金もなかったので、自宅浪人を覚悟していましたが、それなりの成績を残していたので、予備校の特待生制度を使って、破格の値段で予備校に入ることができました。

 

現役の時に、国英の偏差値は70に到達していたので、比較的手薄だった数学と日本史を浪人時代は極めました。高校生の頃から教師になりたいと思っていたので、予備校の授業は自分の勉強が主目的ではありながら、教え方や理解の仕方をどうすればいいのかという視点で勉強していました。

また、受験に対する学習内容を予備校のテキストを見て、どれくらいの期間で完成させるかを考えました。高校3年間全てと言われると多いような気がしますが、予備校では1年で勝負を決するように組まれています。非常に参考になりました。

 

大学は現役の時と変えず受けました。私の志望校選定は「通いやすさ」です。偏差値で決めるのではなく、家からの距離で決めました。なぜそうしたのかというと、その大学は関西圏ではそれなりの知名度があり、地元で就職するに充分な信頼がありました。

 

偏差値的には2ランクくらい上の大学に受かると言われましたが、通学に掛かる時間を計算して、いかに近い方が大学生活を充実できるかを考えて選びました。(予備校とは受験校選定でかなり揉めましたが・・・)

 

大学・大学院時代

 

私の専門は「国語国文学」です。国語の教員免許を取得するためです。大学生になってからは塾講師をやっていました。塾講師になったとき、古典を専門的にできる人が手薄だったため、すぐに大学受験生の指導をすることになりました。個別指導の塾だったので、近い距離で生徒の指導をしてきました。

 

大学院に進学してからは、塾講師に加えて、高等学校の非常勤をしていました。国語の教員免許を取得していたので、大学院生でも非常勤になることができました。そこで集団を教えることに非常に興味を持ち、就職先として学校を選ぼうと決めました。

 

他にも、学習ボランティアもしていました。中学校の放課後で行われている補習のサポーターをしていました。その中で記憶に残っているのは、英語の補習で冒頭に学校の先生が説明をして、生徒に問題演習させていたのですが、私にはその先生の説明が分かりませんでした。内容を知らないのではありません。私はすでに知っている内容なのに分からなかったのです。こんな状況で授業を受けさせられている生徒を不憫に思いました。

 

そんな状況を生み出さないように、むしろ、そういう状況に苦しんでいる子どもを助けたいという思いを抱くようになりました。

 

就職してから

 

大学院を修了して、高校の国語科の教師になりました。最初は旧来方式の授業をしていました。それなりの成果はありましたが、もっと良い授業ができないものかと思い、新しい授業のあり方を模索しました。そして、様々なやり方に挑戦して授業改革をしてきました。

 

 

私の授業改革のキーワードは「映像授業」「反転授業」「アクティブラーニング」「ゲーミフィケーション」です。一度に全て行ってきたわけではありませんが、毎年知識や方法を得て、改革してきました。

 

私の目的の前半はすでに経験できたと思っています。今まで受けたことのない国語だったと言われるようになり、私の授業方法の研究は形になってきました。ということで、次の段階に進もうと思い、このサイトを立ち上げることにしたのです。

 

追記(2021.3.30)

最近では、ご縁があって、学び直しを必要とする生徒を教えるチャンスをいただきました。

 

学習に課題を抱える高校生を指導しています。これまでは進学を控えた高校生の指導が多かったので、「学力が低い」と言っても、受験で求められる学力が低いということでした。

 

しかし、今は違います。高校生ですが、小学生レベルの漢字の読み書きが怪しい生徒です。計算も足し算なら出来るが引き算からは分からないといった感じです。文字もしっかりと書けない生徒もいます。日本で生まれ、日本で育っているはずですが、会話が噛み合わず、かんしゃくを起こしてしまう子もいます。

 

その地域で最も学力の低い学校でついていけなくなった生徒が転入した場合、その学校ではよくできる生徒になるといった状態です。

 

この状況下で指導できるチャンスを得たことで、私の教育観は大きく変わりました。進学を中心とする学校での「基礎学力」と今の環境下の「基礎学力」の定義は異なります。また、学習指導要領をはじめ、「普通」の高校を相手に作られた物はことごとく太刀打ちできません。

 

このような世界があったんだと驚いています。

 

彼らのような学び直しの必要な生徒であっても対応できる教材作りや指導方法を考えていく良い機会だと思って取り組んでいます。このサイトでは、大学受験をする人向けですが、そのような要素も取り入れていければ良いなと考えています。

 

現在興味のあるワード

 

最後に私が現在興味のあるワードをあげておきたいと思います。どういう視点や興味でサイトを作成しているのか、また私をあらわすキーワードになると思います。

 

#国語 #映像授業 #反転授業 #アクティブラーニング #ゲーミフィケーション

#学び直し #つまずき #小学校学習範囲 #中学校学習範囲

#作文指導 #古文 #漢文 #言語能力の向上 #漢字検定

#主体的な学び #能力開発 #新しい教育のあり方 #SNSの使い方

#授業の受け方 #聞く力 #理解する力 #スマホのルールについて

#興味の拡大 #興味を追究する

#教育問題 #教師の労働環境 #部活動のあり方