学校の不登校支援の「学校復帰前提策」を撤廃②
学校の不登校支援の「学校復帰前提策」を撤廃②
前回の続きです。
以下参照記事
不登校の気持ちを無視した「学校復帰前提策」を撤廃へ 文科省が示した本気度とは
(石井志昂 氏)
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20191125-00151696/
5 不登校でも選択肢はある
小中学校で不登校になったとしても、学業を続けておけば、高校から選択肢が広がります。全日制の普通科に通えなかったとしても、定時制や通信制の学校があります。高校卒業の資格を得ることが出来ますし、基本的な高校の学習内容は押さえることが出来るでしょう。
他にも、学校に毎日通ったり勉強したりするのが苦手だという人は、「高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)」を受けて、合格することで、高等学校卒業程度の学力があることを証明することが出来ます。こちらは、高校卒業の資格は得られませんが、専門学校、短大、大学に進学し、卒業することが出来ると、最終学歴が更新されることになります。
このように、不登校であったとしても、ある程度、元のレールに戻ることができます。
とはいえ、本人が希望しないのであれば、不登校が再発してしまうでしょうから、本人の意思で行きたいと思えたときに、チャンスがあるという風に捉えておいてもらった方がよいでしょう。
6 漠然とした理由で不登校に・・・合理的成果主義が背景
不登校になった生徒の話を数多く聞いてきましたが、いじめや人間関係による原因もありますが、次のような漠然とした理由もよく聞きました。
学校に行く理由が分からなくなった。
このような理由の述べる生徒たちは、成績上の問題や人間関係の問題もありませんでした。普通に話が出来、考えていることも大人に近い発想をする生徒でした。しかし、このように思い学校に行けなくなるのです。
これは、近年の合理主義的な社会構造のひずみだと思われます。文系に価値がなく、実生活に近い理系にこそ価値があり、公的な資金が投入される一つの基準となっている合理主義的な成果主義が問題です。
成果主義は、何かしらの成果を出さなければ価値がありません。幼い頃から、成果主義の世界の中で生きてきて、成果主義の価値観しか持ち合わせなくなると、学校生活というのは何のために役に立つのか分からなくなるのです。
このような状態になって、学校という存在に目を向けると、非常に多くの無駄があります。また、学校生活の中で、昔ほど学業を頑張ったからといって社会面で役に立つともいえなくなってきています。もちろん、全く役に立たないわけではありませんが、「いつか役に立つ」というレベルのものが多いのです。
成長と共に大人の視点になってきて、価値観が合理主義に基づく成果主義になっていると、学校に行く意味など見失ってしまうのです。
7 アプローチの方法
このような状態に陥った場合は、二通りのアプローチがあります。一つが本人の中で価値があると思うものに進ませることです。学校ではない何かの道があるかもしれません。社会的な不利益を説明した上で、「今やる」のか「後にやる」のかを考えさせるのです。「今やる」を決めた場合、違う場所で勉強することを選択することになるでしょう。「後にやる」と決めた場合には、その目標を心の支えとして、今の学校に向かうことになるでしょう。
もう一つのアプローチは、「学校の意味」を一緒に考えることです。合理的成果主義だけでなく、一件遠回りに見えることにも意味があると考えたり、意味があるかどうかは人によって異なるけれど経験しておくと良いことがあったり、大人になったら時間がなくなるけれど、子どもの今なら意味のないと思うことも楽しめたりするかもしれません。そういう状況を考えていくといいでしょう。
ある生徒は学校での指導では全然響かなかった生徒がいました。SNSやオンラインゲームにはまっていて、学校に行っても価値がない、意味がないと皆に言われ、行く気をなくしていました。そこで、私はネット掲示板に学校に行く意味を聞くように話してみました。すると、その掲示板で、学校に行った方が良い理由をたくさん言われたそうです。「今の俺みたいになってはいけない」という実例が彼を突き動かし、違う学校ですが、勉強を続ける道を選びました。