『大和物語』「沖つ白波」
『大和物語』「沖つ白波」
使用時期
この作品は単独で用いられるよりも、『伊勢物語』「筒井筒」とセットで用いられることが多いです。古典の世界では、同じような話が登場することがあります。
類話が登場する状況は二通り考えられます。
一つは、古い時代の良い話を題材にして、後世に作り替える手法です。和歌では、「本歌取り」という手法がありますよね。元の和歌を詠み込んで新しい歌へと昇華する方法です。それと同じように、良い話は真似されるのです。今では「パクリ」として非難されますが、昔は、それが一つのステータスになっていました。「真似されるほど良い作品」ということになります。
もう一つは、「共通する作品から取り出したもの」という構造です。今回のように『伊勢物語』と『大和物語』でよく似た話があります。そして、二つの作品が同時期の成立であれば、どちらかを見たと考えるよりも、親となる作品があったと考える方が自然です。どっちが先か後か、判断つかない場合に使える方法です。
ということで、この作品は『伊勢物語』との抱き合わせとして考えています。文法問題を単独で聞かれるとは考えにくいので、内容把握を中心に見ていきましょう。
本文
昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。この女、顔かたちいときよらなり。年ごろ思ひかはして住むに、この女、いとわろくなりにければ、思ひわづらひて、限りなく思ひながら、妻をまうけてけり。この今の妻は、富みたる女になむありける。ことに思はねど、行けばいみじういたはり、身の装束もいときよらにせさせけり。
かくにぎははしき所にならひて、来たれば、この女、いとわろげにてゐて、かくほかにありけど、さらに妬げにも見えずなどあれば、いとあはれと思ひけり。心地には、限りなく妬く心憂しと思ふを、忍ぶるになむありける。とどまりなむと思ふ夜も、なほ「いね。」と言ひければ、わがかくありきするを妬まで、異わざするにやあらむ、さるわざせずは恨むることもありなむなど、心のうちに思ひけり。
さて、出でて行くと見えて、前栽の中に隠れて、男や来ると見れば、端に出でゐて、月のいといみじうおもしろきに、頭かいけづりなどしてをり。夜更くるまで寝ず、いといたううち嘆きてながめければ、人待つなめりと見るに、使ふ人の前なりけるに言ひける、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
とよみければ、わがうへを思ふなりけりと思ふに、いとかなしうなりぬ。この今の妻の家は、竜田山越えて行く道になむありける。
かくて、なほ見をりければ、この女、うち泣きて伏して、金椀に水を入れて、胸になむ据ゑたりける。あやし、いかにするにかあらむとて、なほ見る。されば、この水、熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。また水を入る。見るにいとかなしくて、走り出でて、「いかなる心地したまへば、かくはしたまふぞ。」と言ひて、かき抱きてなむ寝にける。かくて、ほかへもさらに行かで、つとゐにけり。
かくて、月日多く経て思ひけるやう、つれなき顔なれど、女の思ふこといといみじきことなりけるを、かく行かぬをいかに思ふらむと、思ひ出でて、ありし女のがり行きたりけり。久しく行かざりければ、つつましくて立てりけり。さて、垣間めば、我にはよくて見えしかど、いとあやしきさまなる衣を着て、大櫛を面櫛にさしかけてをりて、手づから飯盛りをりけり。いといみじと思ひて、来にけるままに、行かずなりにけり。この男は王なりけり。
現代語訳
昔、大和の国葛城郡に住む男と女がいた。この女は、顔かたちがとても美しかった。長年愛し合って暮らしていたが、この女が、たいそう貧しくなってしまったので、男は思い悩んで、このうえなくいとしく思うけれども、ほかに妻をとってしまった。この今の妻は、裕福な女なのであった。男は今の妻を特に愛しているわけではなかったが、男が行くと非常によく男の世話をして、身につける衣服もとてもきれいに整えさせた。
このように裕福な所に慣れて、もとの妻のところへ帰って来ると、この女は、とてもみすぼらしい姿で暮らしていて、こうしてほかの女のところへ出歩くのに、全く嫉妬を感じている様子にも見えなかったりするので、男はひどく不憫だと思った。女は心の中では、このうえなく妬ましくつらいと思うのを、我慢していたのだった。(男がもとの妻のもとに)ぜひ泊まろうと思う夜も、やはり「行きなさい。」と言ったので、自分がこのように出歩くのを妬まないでいるのは、他の男を通わせているのだろうか、そういうことをしないならきっと恨むこともあるだろうなどと、心の中で思った。
そこで、男は出て行くと見せかけて、庭の植え込みの中に隠れて、男が来るかと思って見ると、女は縁側近くに出て座って、月がとてもすばらしく美しい時分に、髪を櫛でとかしたりなどしている。夜が更けるまで寝ず、ひどく大きくため息をついてもの思いにふけっていたので、男は人を待つようだと思って見ていると、女が前にいた使用人に言ったことには、
風吹けば……風が吹くと沖の白波が立つ、その竜田山を、夜中にあなたは一人で今ごろは越えているのでしょうか。
とよんだので、男は自分の身の上を案じているのだったよと思うと、ひどくいとしくなった。この今の妻の家は、竜田山を越えて行く途中にあった。
こうして、さらに見ていたところ、この女は、ひどく泣いて横になって、金属製の椀に水を入れて、胸に据えていた。変だ、どうするのだろうかと思って、なおも見る。すると、この水が、熱湯になって沸き立ったので、女は湯を捨てた。また水を入れる。見ているとたいそう悲しくて、男は走り出て、「どんなお気持ちがなさるので、このようにはなさるのですか。」と言って、ひしと抱きかかえて寝てしまった。こうして、男はよそへも全く行かないで、じっと離れずにいた。
こうして、多くの月日がたって男が思ったことには、何気ない顔であるが、女が心の中で思うことは本当にすさまじいものだったのだから、こうして自分が訪ねて行かないのを、今の妻は今ごろどう思っているだろうと、思い出して、例の女のもとへ行ってしまった。長らく行かなかったので、男は気がひけて門前に立っていた。そして、垣根の隙間からのぞき見ると、自分にはよく見せていたけれども、たいそうみすぼらしい感じの着物を着て、大きな櫛を額髪につきさしていて、自分の手で飯を盛っていた。全くひどいものだと思って、もとの妻のところへ帰って来たきり、今の妻のもとへは行かなくなってしまった。この男は王族なのだった。
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