『奥の細道』「旅立ち」

『奥の細道』「旅立ち」

 

 

使用時期

1年生の最後の方に扱われることの多い作品。これまでの中古から中世までの作品と異なる近世の作品です。文法が変化し、語彙も現代に近づいています。そのため、学校で習った文法を厳格に当てはめることができません。

 

意味が通るように、古典の世界の文法と現代の文法をほどよく取り入れて読み取る必要があります。厳密に理解するのは難しいですが、現代に近づいた分、古文が苦手な人でも読みやすく感じることでしょう。

 

 

本文

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

表八句を庵の柱に掛けおく。

 

 弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。むつまじき限りは宵より集ひて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。

行く春や鳥啼き魚の目は涙

これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆるまではと、見送るなるべし。

 

 今年、元禄二年にや、奥羽長途の行脚、ただかりそめに思ひ立ちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、耳に触れていまだ目に見ぬ境、もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり。痩骨の肩にかかれる物、まづ苦しむ。ただ身すがらにと出で立ちはべるを、紙子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがにうち捨てがたくて、路次の煩ひとなれるこそわりなけれ。

 



現代語訳

 

月日は永遠に歩みをやめない旅人であって、来ては去り、去っては来る年もまた旅人である。舟の上で一生を過ごす船頭や、馬の轡を取って老年を迎える馬子は、毎日が旅であって、旅を自分の住む家にしている。風雅の道のいにしえの人にも旅の途中で亡くなった人が大勢いる。私も、いつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われてただようように、旅に出てさまよい歩きたいという気持ちが絶えることなく、先年も海岸をさまよい歩き、昨年の秋に、隅田川のほとりのあばら屋に蜘蛛の古巣を払って住むうちに、やがて年も暮れ、立春となって空に霞が立つのを見るにつけ、白河の関を越えたいと、落ち着きをなくさせるそぞろ神が見るもの聞くものにとりついて、私の心を狂わせ、街道にいる道祖神の招きを受けるようで何も手につかなくなり、ももひきの破れを縫い合わせ、笠のひもをつけかえて、脚の三里に灸を据えるやいなや、松島の月がまず気になって、住んでいた家は人に譲り、杉風の別宅に移るときに、

草の戸も……私がわび住まいをしていたこの草庵も、住人が替わるときが来たよ。まもなく雛祭りの折には、雛人形も飾られて、華やかに明るくなることだろう。

表八句を庵の柱に掛けておいた。

 

三月も下旬の二十七日、夜明けの空はおぼろに霞んで、月は夜明けの残月であって光が薄れてしまっているので、富士山がかすかに見えて、上野や谷中の桜の花の咲く梢を、またいつ見ることがあろうかと思うと心細い。親しい人はみな宵から集まって、舟に乗って私を見送る。千住という所で舟から上がると、前途が三千里もある長旅に出るという感慨が胸にいっぱいになって、幻のようにはかないこの世とは思いつつも、分かれ道に立って、別れの涙をこぼすのであった。

行く春や……今や三月の末、春も過ぎ去ろうとしているよ。その名残を惜しんで、鳥は悲しげに鳴き、魚の目にも涙があふれているようだ。

この句を旅の記の書き始めとして、歩み始めたが、道のりはいっこうに進まない。人々は途中に立ち並んで、私の後ろ姿が見える間はと思って、見送るのであろう。

 

 

今年は、元禄二年だとか、奥羽地方への長旅を、ただちょっと思いついて、はるかに遠い空のもとで笠に積もった雪が白髪に変わるような嘆きを何度もするとわかっているのであるが、耳で聞いてまだこの目で見ていない土地、もし生きて江戸に帰るようならと、あてにならないわずかの期待を将来に託し、その日ようやく草加という宿場にたどり着いたことだったよ。やせた肩にかかっている品物で、まず苦労する。ただ身一つでと思って出発したのですが、紙子一枚は夜の寒さを防ぐ浴衣・雨具・墨・筆の類、あるいは断りきれない餞別の品などをくれたのは、そうは言ってもやはり捨てにくくて、道中の苦しみの種となっているのはやむを得ないことだ。

 

リンク集

「おくのほそ道」(Wikipedia)

最近のWikipediaは優秀ですね。かなり詳しく載っています。ただ情報量が多く、自分で判断するのは難しいかもしれません。

 

「俳聖松尾芭蕉翁」

松尾芭蕉について詳しく紹介されています。

 

おくのほそ道 ビギナーズ・クラシックス

角川ソフィア文庫です。作品全体の世界観を楽しむことが出来ます。

 

 

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