「現代の国語」「言語文化」
「現代の国語」「言語文化」
ここでは「現代の国語」と「言語文化」について説明します。
特徴
この二つの科目は「必履修科目」です。よって、卒業するためには必ず履修しておく必要があります。それぞれ2単位ずつ設定されています。高等学校の国語における必履修科目はこの二つだけであり、他の国語に関する科目は選択必修となります。学校によっては、学校設定科目を設ける場合もあるでしょう。
「現代の国語」と「言語文化」は国語に関する基礎的な位置づけとなっています。そのため、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」の基礎的位置づけのため、「現代の国語」と「言語文化」を履修してから、上位の科目を修得するように設計されています。
これらのことから、「現代の国語」及び「言語文化」は高校1年生で履修することが見込まれます。
「現代の国語」
「現代の国語」は次のような目標が設定されています。
言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)実社会に必要な国語の知識や技能を身につけるようにする。
(2)論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし、他者との関わりの中で伝え合う力を高め、自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに、生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ、我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち、言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。
(高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 国語編 69ページ)
※以下引用は「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 国語編」による。
さらに細かい目標や内容は学習指導要領に書いてありますが、目的から読み取れる範囲で、今後どのように扱われるのかを考えてみます。
まず、「実社会に必要な国語の知識や技能」とあります。これは9ページに次のようにまとめられています。
「知識・技能」では「伝統的な言語文化に関する理解」以外の各事項を、「思考力・判断力・表現力等」では全ての力を総合的に育成する。
知識・技能では、「伝統的な言語文化に関する」ものは除外されています。つまり、古典の知識や近現代文学の範囲は完全に除外するということになります。「現代の国語」では、これまでの評論文を始め、レポートや官公庁の発行する文章や規約などの文章が該当することになると考えられます。
次に「他者との関わりの中で伝え合う力を高め、自分の思いや考えを広げたり深めたりする」とあります。これは「高等学校の国語はこう変わります!」の記事でも扱った各科目の授業時数から、その取り組みを考慮したものであることが分かります。
「話すこと・聞くこと」の時間が割り当てられているのは、「現代の国語」と「国語表現」だけとなっています。1年次の段階から、他者との関わりの中で知識や考えを深めていくことを求めています。
また、「書くこと」の配当時間が最も多くなっています。お互いに話し合った後、自身の考えを表現することを狙っています。「読むこと」より配当時間が二倍以上になっていることから、読解を中心とした授業ではなく、話し合いや記述による学習が中心になると考えられます。
このような改訂がなされた理由として、6ページの引用部に次のようにあります。
高等学校では、教材への依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、依然として講義調の伝達型授業に偏っている傾向があり、授業改善に取り組む必要がある。また、文章の内容や表現の仕方を評価し目的に応じて適切に活用すること、多様なメディアから読み取ったことを踏まえて自分の考えを根拠に基づいて的確に表現すること、国語の語彙の構造や特徴を理解すること、古典に対する学習意欲が低いことなどが課題となっている。
「講義調の伝達型授業」を改善するために、現場の努力だけで無く、学習指導要領を改訂することで改善を促そうとするものと考えられます。また、学習指導要領改訂の考え方のイメージを見ると次のようになっています。
右下の「どのように学ぶか」のところに、「主体的・対話的で深い学び」とあります。これは国語に限ったことではありませんが、全ての教科でこの視点を取り入れようとしています。国語に関しては、必履修科目である「現代の国語」にその要素を色濃くして導入したものと考えられます。
以上のことから、「現代の国語」をまとめると・・・
①扱う文章は実用的(評論文・レポート・公官庁の発行物など)
②読む時間が中心では無く、「話す」「聞く」「書く」の時間が多くなる
③評価の仕方もそれに合わせて変化する
ということが考えられるでしょう。
これまでの「国語総合」とは様相が大きく変化すると想定されます。
「言語文化」
言語文化の目標は次のように定められています。
言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2)論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし、他者との関わりの中で伝え合う力を高め、自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに、生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ、我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち、言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。
(109・110ページ)
(1)の観点から、国語に関する知識や技能は文学的な表現を含め、日本の社会生活で使われるものを指しているのでしょう。また「言語文化に対する理解」は古典を含め、日本語の文化理解と受け取っておいて差し支えないでしょう。
(2)の観点からは、読み取ったものを表現することを示していると考えられます。「書くこと」の配当時間が「現代の国語」と比べると短いものの、割り当てられています。しかし、「他者との関わりの中で」とありますが、配当時間では「話すこと・聞くこと」が割り当てられていません。「現代の国語」と大きく異なる点です。このことから、授業時間では他者との関わりにあてず、それ以外のところで高校生が話し合って理解を広げていくということになるのでしょう。
この点は非常に難点だと思われます。文学の内容や古典の内容を高校生が自主的に話すというのは、かなり高尚なことと言えるでしょう。高校1年生に求めるにしては壁が高すぎます。これは、非常に優秀な学校の一部の生徒を指しているのではないかと思ってしまいます。
また「論理的に考える力」とありますが、「言語文化」は「読むこと」に重点が置かれ、「書くこと」が数時間程度割り当てられているだけです。「話すこと・聞くこと」「書くこと」をもって、「現代の国語」は論理的な思考や相手に伝えることを鍛えようとしているのであれば、「言語文化」の配当時間ではこの目標を達成するのは非常に困難に思われます。
このような目標設定であるのであれば、1年次に両方を同時並行で行うのではなく、前半に「現代の国語」、後半に「言語文化」という配置にしないといけません。しかし、その配置は現実的ではありません。この目標を達成しようとするならば、配当時間を逸脱したもので実施しなければならないでしょう。現実問題として、授業時数以内におさめて授業するのは難しく、各学校によって工夫されていると思います。しかし、それは実情に即して行われる上で生じる現象であって、元々の設定の目標が達成できなくなるのは、「矛盾」を含んだ設定になっているのではないでしょうか。
それこそ、文言から論理的に考えると上記のようなおかしさが生まれてしまいます。厳密にしすぎると達成できないので、弾力的な運用が必要になりそうです。
(3)の目標は「読書」に注目しています。読書習慣については、校種が上がるごとに減っていきます。小学生の不読率は低いのですが、高校生は57.1%(平成28年度)となっており、読書率を高めることに取り組んでいます。その一環として、高校国語に明言されています。しかし、国語の授業で読書について触れることには賛成ですが、高校国語だけにその重きを置いてしまうのもいかがなものかと思います。
世の中にある本は、国語だけでなく、それぞれの教科に関連するものから、高校までには登場しない学問分野の本があります。国語で触れた文章だけで判断することになると非常に狭い範囲となってしまうため、国語という教科だけに留まらず、他の教科や総合的な学習の時間でも取り入れていくべきだと考えられます。
また、読書をする時間よりも他の活動する時間が多くなったため読む時間が無いという理由が最も多いという結果です。確かに高校生になると部活動や学習内容の高度化により、取り組むべき事柄多くなります。
しかし、この理由は本当にその状況の人もいると思いますが、多くは「言い訳」に使われているように思われます。忙しくて時間が無いという高校生でも、スマホでゲームをしたり、友達とラインを長時間したりすることが多いのです。結局、読書はしないといけないと思っていても、他に楽しいものがたくさんあるので、そちらを優先してしまうわけです。だからといって、そのままの理由を言うとダメなやつというレッテルを貼られるような気がするので、「言い訳」として他のことが忙しいからとあげているのだと考えられます。
国語という教科が行える読書指導の一環として、「読書とはどういうものか」という視点で取り組んでみてもいいかもしれません。「読書」と一口に言っても読み方を教えてもらった経験のある人は少なく、それぞれが思い思いの読書をしているのです。読書が好きといえる人は、読み方が上手いのです。1冊に掛かる時間も短く、負担が少ないのです。しかし、読むのが苦手な人ほど本を読むのに時間が掛かります。集中すれば2時間ほどで読める本でも数日かかってしまうと、読むのが苦痛になってしまいます。
そこで、文学を楽しむ読書や調査のための読書など目的別に読書をすることが出来ることを伝えたり、一つのテーマに絞って複数の本を一気に読んでしまう方法だったりを教授することができます。読書法に関する本も数多く出ていますので、それらを教材として取り上げても良いかもしれません。
ただ本を紹介して終わったり、読書感想文や記録シートを課題にしたりして無理矢理読ませるよりも、方法を身に付けて自身で実践していく方が身につきます。それこそ、高校生が自ら行動に移すとすれば、文学作品や古典を話し合うことを期待するよりも、確率は上がると思われます。読むテーマを決めて、それをチームで高めていく方法を取り入れても面白いかもしれません。
以上「言語文化」は授業時数の配当と目標から読み取ると
1 扱う教材は「古典」と「近代以降の文学(いわゆる小説)」
2 読むことが中心に置かれている
3 短い時間であるが、書くことで論理的に考え、授業以外の場で話し合いを通して、お互いに高め合うことを期待している
ということが言えます。目標としては理想的ではありますが、矛盾点を含むことになっているので、どのように扱うかは各学校の弾力的な運用に任せられている学習指導要領に見えてしまうでしょう。