『教育激変』池上彰×佐藤勝 第三章 「アクティブ・ラーニングとエリート教育」 を読んで③

4 アクティブ・ラーニングから学んだこと

私のアクティブ・ラーニングのやり方は我流ではなく、書籍から得た方法を国語バージョンにアレンジしたものです。目指す力も限定的ですので、これが正解というものではありません。

 

しかし、2年連続行ったことで分かったことは、「知識がないと厳しい」ということでした。お互いに議論をするためには、ある程度のことまで分かっていて、その状態で話をすることで新たな気づきにたどり着くものです。

 

知識がない状態では、辞書や単語帳を見ればすぐに分かるような単語の意味でさえ、話し合わないといけない状態になり、議論が前に進まないのです。

 

他にも取り組みをしていた先生とも話していたのですが、結局のところ、出来る人が今以上にできるようにする方法であり、出来ない人は基本的な知識から導入しないと苦しいという結論に至りました。

 

最初に取り組んだ学年は、いつもより難しい記述式の多くなった定期テストを実施したのですが、平均点が10点以上も上がり、誰も欠点をとらないような状態にまでなりました。一方、次の年で、点数が上がったものもいれば、低かったものは引き離され、欠点者が出てしまう状態でした。(それでも例年に比べれば減少はしていたのですが・・・)

 

知識がないということが、大きく響く方法でした。

 



5 池上氏も述べていた

『教育激変2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』の中で池上氏はアクティブ・ラーニングの危険性について次のように述べていました。

 

基礎的なところが分かっていないのに、「さあ、討論しましょう」と言ったところで、噛み合った話になるはずがありません。一定の知識があってこそ有意義な議論になるわけですけれど、そこのところを正確に理解していないと、仕組みが空回りする危険性もあるでしょう。

明治大学教授の齋藤孝さんも、アクティブ・ラーニングの必要性を認めながらも、その点を懸念していますよね。そこばかりに目が行って、伝統的な座学で学ばれていたものが欠落するとしたら問題だ、と。

 

まさにこの通りだと思います。議論するためには、共通のネタが必要なのです。そのネタがない状態で話せと言われても、何を話せば良いか分からず、昨日のテレビの話をするしか話す内容がなくなってしまいます。

 

 

6 座学の必要性

一定の知識を習得するための座学は必要です。それを人が前に立った状態で聞くのか、パソコンの画面を見て、映像で学ぶのかはどちらでも良いと思います。実際の人を前にして話す場合、その人たちの理解度合いや空気などで、話す内容を状況に応じて変えることができます。映像ではそのようなことはできません。

 

しかし、映像授業の良いところは、止めたり、もう一度再生したりと、分からなかったり聞き逃したところがあれば、何度でも戻れることです。一定時間集中するのが難しい人はこちらの方が向いているでしょう。ただし、映像授業の内容が難しい場合は一向に理解できず、宝の持ち腐れとなってしまうでしょう。

 

他にも知識はテキストを読むことで習得可能です。資格試験などのテキストは非常に親切に出来ているので、読んで理解することも可能です。しかし、学校で習う教科書というのは、少し読みにくいです。参考書などを手元に置いて理解しないと難しいことも多く、独学で全て実行するのは難しいでしょう。

 

そういった教科書をかみ砕いて説明し、適宜プリントなどで補ってくれる座学の授業というのは非常に効率的です。中学高校では、その教科のプロが教えてくれるわけですから、これほど時間効率のいいものはないでしょう。

 

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学校関係

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