『宇治拾遺物語』「清水寺二千度参り」

『宇治拾遺物語』「清水寺二千度参り」

 

 

使用時期

二年生の教材として使用されることがあります。

 

説話文学の文章として取りあげられます。一年生の時の「児のそら寝」や「絵仏師良秀」と同じ作品の文章なので、比較的読みやすいでしょう。

 

神仏の功徳について書かれた面白い話なので、世界観を楽しむと良いでしょう。

 

文法に関しては、助動詞の後半を学んでいるか、敬語の学習をしているところが多いでしょう。

 

 

本文

今は昔、人のもとに宮仕へしてある生侍ありけり。することのなきままに、清水へ人まねして、千日詣でを二度したりけり。その後いくばくもなくして、主のもとにありける、同じやうなる侍と双六を打ちけるが、多く負けて、渡すべき物なかりけるに、いたく責めければ、思ひわびて「我、持ちたる物なし。ただいま蓄へたる物とては、清水に二千度参りたることのみなむある。それを渡さむ。」と言ひければ、傍らにて聞く人は、謀るなりとをこに思ひて笑ひけるを、この勝ちたる侍「いとよきことなり。渡さば得む。」と言ひて、「否、かくては受け取らじ。三日して、この由を申して、おのれ渡す由の文書きて渡さばこそ、受け取らめ。」と言ひければ、「よきことなり。」と契りて、その日より精進して、三日といひける日、「さは、いざ清水へ。」と言ひければ、この負け侍、このしれ者に会ひたるとをかしく思ひて喜びて、連れて参りにけり。言ふままに文書きて、御前にて師の僧呼びてことの由申させて、「二千度参りつること、それがしに双六に打ち入れつ。」と書きて取らせければ、受け取りつつ喜びて伏し拝み、まかり出でにけり。

その後、いくほどなくして、この負け侍、思ひかけぬことにて捕らへられて、人屋に居にけり。取りたる侍は、思ひかけぬ頼りある妻まうけて、いとよく徳つきて官などなりて、頼もしくてぞありける。

「目に見えぬものなれど、誠の心をいたして受け取りければ、仏、あはれと思し召したりけるなめり。」とぞ人は言ひける。

 




 

現代語訳

 

今となっては昔のことだが、貴人のもとに仕えている半人前の侍がいた。することがないままに、清水寺へ人のまねをして、千日詣でを二回行った。その後まもなく、同じ主人のもとにいた、同じような侍と賭け双六を打ったところ、幾度も負けて、相手に渡せる物がなかったので、勝った侍がひどく負けた侍を責め立てたところ、思い悩んで、「私は、持っている物がない。今蓄えている物としては、清水寺に二千度お参りをしたことだけがある。それを渡そう。」と言ったので、そばで聞く人は、ごまかすようだと、ばかばかしく思って笑ったが、この勝った侍は「大変よいことだ。渡すならば、受け取ろう。」と言って、「いや、このような状態では受け取るまい。三日経って、(観音様に)このことを申し上げて、おまえが譲り渡す内容の文書を書いて渡すならば、受け取ろう。」と言ったので、「よいことだ。」と約束して、その日から精進潔斎して、三日経った日に、(勝った侍が)「それでは、さあ清水寺へ。」と言ったので、この負けた侍は、このような馬鹿者に出会ったと滑稽に思って喜び、連れだって清水寺に参った。(勝った侍の)言うがままに文章を書いて、観音様の前で僧侶を呼んで、ことの次第を申し上げさせて、「二千度参ったことを、だれそれに賭け双六の賭け物として譲り渡した。」と書いて勝った侍に受け取らせたので、受け取りながら喜び、伏し拝んで、退出していった。

その後、それほど経たないうちに、この負けた侍は、思いがけないことで捕らえられて牢獄にいることになった。譲り受けた侍は、思いがけない後ろだてのある妻をめとって、たいそう裕福になり、役人などになって、豊かに暮らすことになった。

「目に見えないものであるけれど、誠実な心を尽くして受け取ったので、仏様は、すばらしいとお思いになったのだろう。」と人々は言ったことだ。

 

 

リンク集

役立ちそうなサイトを見つけ次第はっていきます。

 

Wikipedia 宇治拾遺物語

『宇治拾遺物語』ついての情報を手に入れたい人向け

 

NHK高校講座 国語総合 第9回

動画があるので、読むだけでは辛い人向け

 

日本古典文学摘集 宇治拾遺物語

このサイトすごいです。原文と現代語訳が見られるので、教科書と違う範囲を扱う授業にも対応できます。

 

アマゾン 『宇治拾遺物語』(角川ソフィア文庫)

初学者向けの文庫本です。ソフィアシリーズは読んでおくと古文に強くなります。

 

 

 

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