「教員の9割「残業代ほしい」 若手に顕著 教員の「意識」に迫る」を読んで





私はYahoo!ニュースをよく読む。スマホでアプリを押すだけですぐに読むことができるし、いろいろなサイトの記事を載せてくれているので、まとめて読むのに適しているからだ。さらに、興味のあるテーマを保存しておくことができる。その分野のニュース記事だけを集めることができるから非常に便利だ。

 

いくつか登録している中で、個人を登録して読んでいる人物に「内田良」先生がいる。見た目は少し派手だが、現在の教育現場における危険を提唱している点に興味を持ち、よく読むようになった。最初の出会いは組み立て体操についての記事だった。過剰なまでの組み立て体操は確かに危険だ。私自身、中学校の時の組み立て体操は、その当時最高と言われていた高さのピラミッドをやらされたし、崩落して何人も骨折した。それでも、怪我した方が悪いというような風潮だった記憶がある。

 

最近では、それ以外にも教員の働き方について記事が挙げられている。給特法を「定額働かせ放題」と表現しているのも面白い。法令の成立から年月が経ち、本来の目的が機能せずに、悪い方向へとシフトしてしまった結果だと思う。この点についても今後の改正が待たれるが、一体いつになるのだろうか。

 

さて、今回は「残業代」についての話である。給特法とも関わるので非常に興味深かった。

 

教員の9割は「残業代ほしい」!?

教員は給特法によって「教職調整手当」を受け取っている。基本給の4%だ。手当等には適応されないので、基本部分の4%となる。(公立学校の教員の給料は「基本給+手当」の形で平均+αの額を維持している。そのため、基本給だけで見るとそこそこ低い)その4%が残業代に当たる部分だが、1日20分弱くらいに当たる金額となる。

 

 

教員の9割「残業代ほしい」 若手に顕著 教員の「意識」に迫る(10月29日)

 

では、上記のニュース記事を読んでもらいたい。残業代が支払われないことを知らずに教員になる者も一定数いるようだ。大学の教職課程では教えてくれない。そして、教育実習に行ったとしても、給料については教えてくれない。募集要項の給料も詳細は記載されず、手取り目安が書かれていることが多い。

 

実際、私が受験したときにパンフレットに書かれていた手取り金額は、教職に就いた時には手に入らなかった。東日本大震災の復興支援のための給与カットが全国的に終了するはずだったが、一部の自治体は継続することになり、給与は下げられたままであった。そのカットが終了するタイミングで、給与の計算方法を改められカットされた。そして、共済年金がなくなり、厚生年金に切り替わったことによって、保険料が上がり手取りが減った。

 

こういった事態に見舞われたため、募集要項にあった金額になったのは、勤めて5年経過した時であった。

 

さて、ニュース記事に戻ると、「サラリーマン教師」という言葉が出てきている。サラリーマンには失礼だが、対価が発生する時間だけ働くのは駄目だという風潮である。自己犠牲の上に教師の世界は成り立つと考えられていた象徴である。

 

確かに、教師が聖職と言われ、学校の先生に言われたら親が子どもに「あんたが悪い」と言っていた時代では、教師はある意味特別な存在だったのかもしれない。しかし、時代が変わり、教師は都合の良いときだけ「聖職」扱いされるようになり、生徒は「お客様化」していった。「教師=サービス業」に近い存在になっていたように思われる。

 

むしろ、そのような変化をしたのならば、残業代を正当に要求しても良いと思う。それに、労働時間も適正に管理されるべきだ。もちろん、生徒や保護者への対応は丁寧に行うべきであるが、時間外に無理に要求されたことに対応する必要があるのだろうかと思う。営業時間外にお店に問い合わせれば、時間外であることを伝える自動コールが流れる。当然お店も閉まっている。それなのに、学校は勤務時間を超えても開いているし、誰かが対応してくれるので、何時でもつながってしまうのだ。

 

時間外が明らかに勤務になっている以上、残業代の支払いを求めるのは正常な反応だといえる。むしろ、時代の流れに教員の意識が追いついてきたといっていいのではなかろうか。



残業代賛成は若手に多い?

ニュース記事に書かれているが、若手ほど残業代に賛成しているようである。これはどういう意味を持つか、推測であるが考えてみたい。

 

まず初めに浮かんだのは、「新採だから」「若いんだから」「独身なんだから」といった、仕事の押しつけお決まりフレーズである。これでどれだけの仕事が若手に回っているだろう?パワハラに近いのではないかと思っていたら、中堅の先生が「これは若手に対するベテランのパワハラじゃないんですか?」と立ち向かってくれたこともあった。悪しき伝統である。

 

つまり、若手ほど残業時間が長い。基本給も安い状況なので、残業代を付けてもらえれば助かるということである。

 

次に思い浮かぶのは、教師に対するイメージの違いである。昔は、教師になるためには大学で単位を履修してなるものであり、進学率を考えると、一部の才能、財運に恵まれた人たちであった。だから、聖職と扱われたのだ。しかし、現在では大学の進学率がかなり高い。教職課程を設定している大学も増え、多くの人が教師になるチャンスが生まれた。そして、大学生にとっては、教師も一つの就職先でしか無く、就活の中では最も試験が遅いので、一般就職に外れた人が最後に受けて、教師になる場合も多いのだ。(これは近年の倍率の低下によるもの)

 

こうなってくると、教師にそれほど特別感がない。一つの就職先なのだから、他の仕事と同じように給料をもらうし、残業をするならするで残業代をいただくと思うだろう。一般企業では給与の中に「○○時間残業代含む」という形で表記されている場合がある。しかし、教師は「20分残業代を含む」レベルで、過労死ラインまで残業させられるのだ。それでは残業代が欲しいと思うわけである。

 

一方ベテランはなぜほしがらないのだろうか。もちろん賛成している人もいるが、そうでない人が多くなっている。これはベテランほど、「定時に帰る」を遵守している人が多いからだと思う。どれだけ働いても給与は上がらない。ならば、最も早く帰ることが効率的だ。だから、上記にも挙げたパワハラフレーズで仕事を回してしまって、さっさと切り上げるのだ。

 

もちろん、全てのベテランがそうしているとは言わない。若手以上に働いているベテランも多くいるが、そうやって切り上げて帰る割合はベテランの方が多いのもまた事実である。そういった人にとっては、残業代という制度になってしまえば、4%給与が減ることになる。ベテランの域になると基本給もそれなりに高いので、痛いと言うことなのだろう。

 

私はベテランの定時に帰るということに対して、反対していない。勤め始めた頃は、なんであの人だけ早く帰られるのだろうと思っていました。昼寝もして、早く帰る先生もいました。仕事を極力減らし、定時内に終えるのだ。自分の仕事の一部でもこの人に回れば12時間労働から解放されるのに……とさえ思っていました。

 

しかし、ある程度仕事が分かってきて、ベテランの定時退勤に賛成するようになった。仕事を受けられる量を見極めてそれ以上受けない。自分の体を壊さないようにする自己防衛策の極みだと思った。それは私自身が仕事を何でも引き受け、残業も100時間を超えるような働き方をして、病気になってしまったからである。

 

私は、4%はなくなったほうがいいと思っている。その代わり、仕事量を減らすべきだと思う。現状の仕事量の多さを調整しないと、どう考えても支えきれない量になっている。そこを調整してからの、残業代をどうするかという議論につながってほしい。



「サラリーマン教師」ではなく「公務員公務員している教師」

私は「サラリーマン教師」という言葉に引っかかりを覚えている。私が高校生の時、高校の先生がこの言葉を使っていた。私立高校だったが、「サラリーマン教師」であるかどうかは気にしていた。

 

公立学校の教師は「サラリーマン教師」というイメージよりも、公務員のお決まりの対応しかしない公務員教師がいるというイメージだ。それを「公務員公務員している教師」と呼んでいる。公務員のイメージも今では変わってきたが、昔ながらの「最低限で問題を起こさずに平穏に最後までやりすごす」イメージだ。

 

教師の中にもこういう先生がいる。生徒と向き合って、いつまでも気持ちの若い、ベテランの先生もいるが、問題を起こして首なら無い限り、平穏にやっていけるというポイントを突いて、授業もほどほどに、問題事項は見えても他の先生が対応するまで放っておき、自分に被害が来そうなことは、誰かに押しつけるといった教師がいる。

 

そういった教師を見抜く簡単な方法がある。高校で授業をしていると、誰かしら疑問を持ったり、もっと教えて欲しいといったりする生徒が出てくる。そのため、テスト前の質問や、授業外での講習を行うと顕著に表れる。公務員公務員教師のところには誰も質問に行かないし、講習をしても人が集まらない。「人が来ないならもう講習をしない」といったベテランを見たことがある。むしろ作戦だったのでは無いかと今では思ってしまう。

 

この公務員公務員している教師も、4%が無くなるのが嫌だと思う。定時に帰ることでその分多くもらっているからだ。仕方ないことだが、公立学校にはこういう先生もいる。



情熱を持った先生も多い

マイナスなイメージを植え付ける人間はどこにでもいる。どの仕事にだって存在する。しかし、その割合が少し高めなのが教職だと思う。しかし、情熱を持った良い先生もたくさんいることも事実だ。

 

特に、残業を多くしている先生で、仕事をのんびりして伸ばしているというよりも、生徒対応、クラブ活動、教科の準備など全てにおいて情熱を注いでいる先生ほど、残業時間が突出して長い。

 

だから、残業代もしっかり払って欲しいと思う。しかし、情熱は一生続かない。どこかでガタがくる。そうなる前に仕事量を調整して、情熱を適切に向けられる職場環境になっていって欲しい。

 

さいごに

今回の記事は何かを分析してというよりも、現場で見てきた教師像を交えて考えてみた。特にデータがあるわけではないので、正確な数字は出せないが、そのような環境が存在したことは確かである。

 

自治体や地域によって変わるので、なんとも言えないが、どこかにホワイトな学校は存在しないのかと思う。ホワイトな学校があれば、国家レベルで調べて、モデルプランとして適応していって欲しい。

 

もはやこれだけブラックなイメージが付いてしまっては、優秀な人間はやってこない。もっと倍率が下がり、誰でもなれる仕事になってしまう。政治レベルで真剣に考えて欲しい。それが不可能なのであれば、現行の学校制度を廃止して、作り変えるくらいのことをしなければならないだろう。

(※本記事はあくまで個人の経験に基づく感想です。学校が変われば状態が変わりやすいのも事実です。現職の先生の話も参考に作成しました。)

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