『平家物語』「祇園精舎」

『平家物語』「祇園精舎」

 

 

使用時期

1年生の教科書の定番教材です。『平家物語』は中学校の教科書でも取り上げられている作品で、非常に親しみ深いと言えます。

 

高校に入ると冒頭だけでなく、他の話も取り入れられることがあります。中学校でも進んで古文をやっている学校では、その定番教材もやったことがあるかもしれませんね。

 

語り口調の古文なので、物語文を理解するよりも、ハードルが低いと言えるかもしれません。

 




 

本文

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、これらはみな、旧主先皇の政にも従はず、楽しみをきはめ、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心も猛きことも、みなとりどりにこそありしかども、ま近くは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれね。

その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、高視の王、無官無位にして失せたまひぬ。その御子、高望の王の時、初めて平の姓を賜つて、上総介になりたまひしより、たちまちに王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府の将軍義茂、のちには国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだ許されず。

 

 

現代語訳

 

祇園精舎の鐘の音は、病者の臨終のときに「諸行は無常である」という偈をその響きの中に説いている。娑羅双樹の花の色は、「盛んな者も必ず衰える」という道理を示している。おごりたかぶっている人もそのおごりの日々は長く続きはしない、全く春の夜の夢のようにはかないことである。力にあふれて強い者も結局は滅んでしまう、それは全く風の前の塵と同じである。

遠く外国〔中国〕にその例を尋ねてみると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、これらの人々はみな、以前仕えた主君や皇帝の政治にも従わないで、自らの栄華を極め、諫言をも深く考慮することなく、天下が乱れるということを悟らないで、人民が嘆くところを知らなかったので、長く栄華を保つことなしに、滅亡してしまった者たちである。近くわが国の例を尋ねてみると、承平年間に乱を起こした平将門、天慶年間の藤原純友、康和年間に悪行をした源義親、平治年間に乱を起こした藤原信頼、これらの人々はそのおごりを極めていた心もものに屈しない強いさまも、みなそれぞれであったけれども、最も近いこととしては、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申した人のありさまを、伝え承ることは、想像もつかず、言葉で表現もできない。

その清盛公の先祖を調べてみると、桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王から九代ののちの子孫、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛朝臣の嫡男である。その葛原親王の御子、高視の王は、無官無位でお亡くなりになった。その御子、高望王のときに、初めて平の姓をいただいて、上総介におなりになってから、すぐに皇族を離れて人臣の列に並ぶことになる。その子鎮守府の将軍〔平〕義茂は、のちには国香と改名する。国香から正盛に至るまでの六代は、諸国の国司であったけれども、殿上人として昇殿することはまだ許されなかった。

 

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