『大和物語』「生田川」

『大和物語』「生田川」

 

 

使用時期

高校2年生の時に扱われやすいでしょう。ただし、この物語を中心に扱うというよりは、歌物語の学習の際、『伊勢物語』と読み比べたり、補強したりするために用いやすいと思われます。

 

 

本文

 

昔、津の国に住む女ありけり。それをよばふ男二人なむありける。一人はその国に住む男、姓はうばらになむありける。いま一人は和泉の国の人になむありける。姓はちぬとなむ言ひける。かくてその男ども、年齢、顔かたち、人のほど、ただ同じばかりなむありける。心ざしのまさらむにこそはあはめと思ふに、心ざしのほど、ただ同じやうなり。暮るればもろともに来合ひ、物おこすればただ同じやうにおこす。いづれまされりと言ふべくもあらず。女思ひわづらひぬ。この人の心ざしのおろかならば、いづれにもあふまじけれど、これもかれも、月日を経て家の門に立ちて、よろづに心ざしを見えければ、しわびぬ。これよりもかれよりも、同じやうにおこする物ども、取りも入れねど、いろいろに持ちて立てり。親ありて、「かく見苦しく年月を経て、人の嘆きをいたづらに負ふもいとほし。一人一人にあひなば、いま一人が思ひは絶えなむ。」と言ふに、女、「ここにもさ思ふに、人の心ざしの同じやうなるになむ、思ひわづらひぬる。さらばいかがすべき。」と言ふに、そのかみ、生田の川のつらに、女、平張を打ちて居にけり。かかれば、そのよばひ人どもを呼びにやりて、親の言ふやう、「誰も御心ざしの同じやうなれば、このをさなき者なむ思ひわづらひにて侍る。今日いかにまれ、このことを定めてむ。あるは遠き所よりいまする人あり。あるはここながらそのいたつき限りなし。これもかれもいとほしきわざなり。」と言ふ時に、いとかしこく喜び合へり。「申さむと思ひ給ふるやうは、この川に浮きて侍る水鳥を射給へ。それを射あて給へらむ人に奉らむ。」と言ふ時に、「いとよきことなり。」と言ひて射るほどに、一人は頭の方を射つ。いま一人は、尾の方を射つ。そのかみ、いづれと言ふべくもあらぬに、思ひわづらひて、

住みわびぬわが身投げてむ津の国の生田の川は名のみなりけり

と詠みて、この平張は川に臨きてしたりければ、づぶりと落ち入りぬ。親、慌て騒ぎののしるほどに、このよばふ男二人、やがて同じ所に落ち入りぬ。一人は足をとらへ、いま一人は手をとらへて死にけり。そのかみ、親いみじく騒ぎて、取りあげて泣き、ののしりて葬りす。男どもの親も来にけり。この女の塚のかたはらに、また塚どもつくりて掘り埋む時に、津の国の男の親言ふやう、「同じ国の男をこそ、同じ所にはせめ。異国の人の、いかでかこの国の土をば犯すべき。」と言ひてさまたぐる時に、和泉の方の親、和泉の国の土を舟に運びて、ここに持て来てなむ、つひに埋みてける。されば、女の墓をば中にて、左右になむ、男の墓ども今もあなる。

 



現代語訳

 

昔、摂津の国に住む女がいた。その女に求婚する男が二人いた。一人はその国に住む男で、名を兎原といった。もう一人は和泉の国の人であった。名を茅渟といった。さてその男たちは、年齢、顔立ち、人柄の程度がまったく同じぐらいだった。女は愛情がまさっている方の人と結婚しようと思うが、愛情の程度も、まったく同じようである。男たちは日が暮れれば一緒に来合わせ、物をよこすとただ同じようによこす。どちらがまさっていると言うこともできない。女は思い悩んでしまった。この男たちの愛情がいいかげんであるならば、どちらとも結婚しないつもりだが、この男もあの男も、月日を経て女の家の門に立って、さまざまなことに愛情を見せたので、女は困ってしまった。この男からもあの男からも、同じようによこす色々な物は、受け取りもしないけれど、男たちはいろいろ持ってきては立っていた。この女の親が、「このように見るのが辛い様子で長い年月を経て、あの男たちの嘆きをお前がむなしく背負うのもかわいそうだ。どちらか一人と結婚してしまったら、もう一人の思いはきっとなくなるだろう。」と言うと、女は、「私もそのように思うけれども、あの人たちの愛情が同じようなので、思い悩んでしまって。それならばどうしたらよいだろうか。」と言うと、その当時、生田川のほとりに、女は、平張を打って住んでいた。こういうわけだから、その言い寄る人たちを呼びにやって、親が言うことには、「どちらもご愛情が同じようなので、この未熟者は思い悩んでいます。今日はどうあっても、このことを決めましょう。一方は遠い所からいらっしゃる人がいる。一方はこの土地の人であってその苦労はこの上ない。この方もあの方もお気の毒なことである。」と言うときに、男たちはとても甚だしく喜び合った。「お二人に申し上げようと思っておりますことは、この川に浮いております水鳥を射てください。それを射あてなさった方に娘を差し上げよう。」と言うときに、「とてもすばらしいことだ。」と言って射ると、一人は頭の方を射あてた。もう一人は、尾の方を射あてた。そのとき、どちらが勝ったと言うこともできないので、女は思い悩んで、

生きるのがつらくなってしまった。だからわが身をこの川に投げてしまおう。摂津の国の(生きるという名を持つ)生田川は名前だけなのだなあ。(私はここで死ぬのだから。)

と詠んで、この平張は川に臨んで造ってあったので、ずぶりと飛び込んでしまった。親が慌てふためき大声で騒いでいるうちに、この求婚する男二人も、すぐ同じ所に飛び込んでしまった。一人は女の足をとらえ、もう一人は女の手をとらえて死んでしまった。そのとき、親はたいそう騒いで、女の死体を引き上げて泣き、大声を上げて葬る。男たちの親も来た。この女の塚のそばに、また塚などを造って埋葬するときに、摂津の国の男の親が言うことには、「女と同じ国の男を、同じ所に埋めよう。よその国の人が、どうしてこの国の土を犯してよいだろうか。いや、よくないだろう。」と言って妨げるときに、和泉の方の親は、和泉の国の土を舟で運んで、ここに持ってきて、とうとう埋めてしまった。だから、女の墓を中央にして、左右に、男たちの墓が今もあるということだ。

 




 

リンク集

大和物語(Wikipedia)

 

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