『徒然草』「仁和寺にある法師」
『徒然草』「仁和寺にある法師」
使用時期
『徒然草』は中学校でも習う教材のため、親しみがある作品でしょう。作品名、作者名、冒頭の暗唱などがメジャーだと思われます。
作者である兼好法師(吉田兼好・卜部兼好)が思いつくままに書いた随筆とされています。作品の完成度から、三大随筆の一つとされています。
使用時期としては、序盤から中盤に渡る頃に習う教材だと思われます。助動詞を習っている時に読まれることが多いでしょう。
内容も有名な話なので、しっかりと押さえておきましょう。
本文
仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うくおぼえて、あるとき思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
現代語訳
仁和寺のある法師が、年をとるまで、石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、情けなく思われて、あるとき思い立って、ただ一人、徒歩で参詣した。極楽寺や高良社などを拝んで、これだけと思い込んで帰ってしまった。さて、かたわらの仲間の僧に会って、「長年念願だったことを、成し遂げました。聞いていたのよりもまさって、尊くていらっしゃったよ。それにしても、参詣している人がみな山へ登ったのは、何事があったからなのだろうか、行ってみたかったけれども、神へ参詣することこそ本来の目的だと思って、山の上までは見なかった。」と言っていた。
ちょっとしたことにも、その道の指導者はあってほしいものである。
リンク
あまりおすすめしない人もいますが、ある程度の情報がまとまっています。ここをスタートに検索をしてみるといいでしょう。
徒然草についての記事です。本文についてもいくつか知ることが出来ます。
初学者向けです。現代語訳も付いているようなので、気になる人は読んでみるといいでしょう。
買うのは少しハードルがあるかもしれませんが、図書館などで探して読むのは良いかもしれません。少し違った分野の方の訳は新鮮です。